1968年のバイク世界一周旅行

その39 テキサス州の入ると、ルート66に沿って 途切れることなく遥かかなたまで、 金網の柵が伸び、その中は見渡す限りの広大な牧場で、 数え切れないほどの牛が、自分たちの運命を知る由もなく、 のんびりと牧草を食べていた。 その上には、透き通るような青く静かな空が広がり、 ジェームス・ディーン主演の映画「ジャイアント」に出てきた 油田のポンプが規則正しく上下に動き、 オイルをくみ上げるシーンを思い…

1968年のバイク世界一周旅行

その40 雨の中西部 グランドキャニオンからオクラホマ・シティまで約千百キロ、 この区間は大げさに表現すれば、 ずっと下り坂だったような気がした。 やっと平地へたどり着いたような気分であったが、 空模様がおかしくなってきた。 テキサス州のような澄み切った青空は、 いつの間にか消え、雲が垂れ始め、 一気に夕立のような大雨が降り出した。 バイクで雨の中を走った経験のない私は、 レストランへ駆け込み、…

1968年のバイク世界一周旅行

その41 アリゾナ州キングハムから一直線に東へ延びてきた ルート66は、ここオクラホマ・シティから北東、 時計の二時の方角へ曲がり、シカゴへと延びている。 まだ、シカゴまでは千三百キロほどある。 夜半、雷は鳴りっぱなしで、朝になっても雨は無常に振り続け、 モーテルの窓から、雨にさらされているバイクを眺めていると 出発する気にならなかった。 何度も、テレビの天気予報を見てみると オクラホマ州の北、…

1968年のバイク世界一周旅行

その42 カンザス・シティからセントルイスへ、 やっと雨も上がり、ときおり青空が見えはじめた。 オクラホマ・シティからセントルイスまで約五百キロ、 雨のため三、四日を費やした。 バッグの中の衣類は、大分雨を吸い込んでいたので 公園のベンチに広げで乾かしたが、なかなか乾かず その上、汚れ、臭かったのでゴミ箱に全部捨て、 新品の衣類を買った。 セントルイスはミシシッピ河と、ミズーリ河の合流地点にあり…

1968年のバイク世界一周旅行

その43 セントルイスから北へ二時間、 イリノイ州の首都スプリングフィールドに着いた。 この町はケンタッキー州の丸太小屋で生まれたリンカーンが、 弁護士になり、大統領になるまでの二十五年間住んでいた町で、 「リンカーンの住んでいた家」、「リンカーンの事務所」、「リンカーンの墓」など「ランド・オブ・リンカーン」一色、観光の町であった。 私の記憶にあるこの町は、リンカーンが大統領になり スプリングフ…

1968年のバイク世界一周旅行

その44 シカゴからナイアガラの滝までは約八百キロ。 日本語のガイドブックのない時代、 私の観光地の知識は、ほとんど観た映画からあった。 このナイアガラの滝の凄さを知ったのは、 マリリン・モンロー、ジョセフ・コットン主演の映画 「ナイアガラ」の影響である。 一九五〇年代、ナイアガラはアメリカ人の新婚旅行の メッカであったが、 私が行った一九六〇年代は、ベトナム戦争が激しくなり、 戦死者の数も日に…

1968年のバイク世界一周旅行

その45 四十キロ先のオールバニーまで、 重いバイクを押していくのは不可能である。 バイクをハイウェイ脇に置いたまま、 ヒッチハイクしながらオールバニーまで行き、 バイク屋と一緒に取りに来るしか手はなかった。 しかし、雨の降りしきるハイウェイに立っていても、 車は来なかった。 時たまヘッドライトが近づいて来るが、ワイパーを忙しそうに振り動かし、水しぶきを私に思い切りかけながら、無常にも目の前を通…

1968年のバイク世界一周旅行

その46 ニューヨーク ロバート・ケネディ暗殺・葬儀 ロサンジェルスを出発して十九日目、 一九六八年六月六日、オールバニーを出発、 ニューヨーク・シティを目指す。 あと、約二百四十キロである。 ハイウェイの標識には「ボストン170マイル(二七二キロ)」とあった。 大西洋は見えなかったが、アメリカ大陸の東の端まで来た という実感が湧いてきた。 ハドソン川に沿って南へ半日も走れば、ニューヨーク・シテ…

1968年のバイク世界一周旅行

その47 アメリカ横断の疲れは全く感じなかった。 市内の中心地にあるホテルを訪ねたが、 ロバート・ケネディの葬儀を見ようと、全米から予約が殺到しており、全く予約できなかった。 YMCAにも行ったが、ラフな服装をしたヒッピーまがいの連中が長蛇の列をなしていた。 どんなところでもいい、とにかく泊まるところを確保しようと、 走り回っていると、偶然、予約できるホテルを見つけた。 やっとホテルを予約できた…

1968年のバイク世界一周旅行

その48 リスボン行き客船の予約を済ませた後、バイクの最終整備をするため、ハドソン川の下にあるリンカーン・トンネルを抜け、 ニュージャージー州のチェリーヒルのヤマハ工場へ行き、 その日は、チェリーヒルのモーテルに泊まった。 翌朝、六月八日、ロバート・ケネディの葬儀を見るため、 ニューヨークへ。バイクは駐車場に預け、革ジャン、皮ズボン姿にヘルメットを抱え、群衆で大混雑のロックフェラーセンター前の、…

1968年のバイク世界一周旅行

その49 一九六八年六月十日 四年間住んだアメリカを離れる日が来た。 もう五十年の前のことで正確な数字は忘れたが、 バイクでアメリカ大陸横断に要した費用を計算してみた。 間違っておれば訂正をお願いする。 走行距離:      ロサンジェルス・ニューヨーク            5,500km 使用バイク:     ヤマハYM1(混合燃料)305CC 燃費:        30km(リッター) 使…

1968年のバイク世界一周旅行

その50 ヨーロッパへ  大西洋航路 ポルトガルのリスボンまで、ギリシャ船籍の豪華客船で行くことになった。 当日、一九六八年六月十日、 出航は夕方であるが、接岸ピア(港)が多く、私の乗る客船が接岸しているピア(港)62を探すのに時間がかかるだろう思い、 昼食を済ませると、すぐ接岸しているピア(港)へ向かった。 乗船待ちの客は、子供までドレスアップしていた。 私だけが、アメリカ大陸横断の途中、 雨…

1968年のバイク世界一周旅行

その51 ヨーロッパへ 大西洋航路 ニューヨーク港を出港してすぐ、ロビーに夕食のメニューと、 円形テーブルの指定席表が張り出された。 食事は、いつも同じテーブルの指定された席と決められていた。 どのテーブルも、八人ほど座れる大きさで、 家族連れは家族連れ同士、夫婦連れは、夫婦連れ同士で 座るように一応は指定されていたが、 どういうわけか、私は老人カップルだけの席に指定され、 ときおり愛想笑いして…

1968年のバイク世界一周旅行

その52 リスボン バイクはナポリへ 一九六八年六月十八日の深夜 ニューヨークを出港して八日目、リスボンに入港した。 下船手続きは終わり、 私のパスポートはだけが、客船の下船口、臨時の入管事務官のデスクにポツンと忘れられたように置かれていた。 私が彼に問いただすと、ポルトガルのビザがないので 下船できないと言った。 ポルトガル・ビザの必要性について、ニューヨークの旅行社も 乗船するときも、私は知…

1968年のバイク世界一周旅行

その53 リスボン バイクはナポリへ 「チン、チン、チン」と、心地よい音に、私は目覚めた。 ベッドわきの窓を開けると、向かいの建物に挟まれた狭い石畳の坂道を電車が下っているのが目に入った。 雲一つない紺碧の空、朝日が前の建物に反射して、 二階にある私の部屋へ射し込み、気持ち良い、 さわやかなリスボンの朝であった。 前夜は下船に手間取り、このB&Bに着いた途端、 疲れが出て、すぐベッドに入ったが、…

1968年のバイク世界一周旅行

その54 ナポリからヨーロッパ・ツーリングへ 空港からタクシーを飛ばし、ナポリ港へ行った。 ちょうど私のバイクを乗せた客船が接岸中で、 ナポリ支社には、すでに連絡が入っており、 入管手続きは簡単に済んだ。 当初の大雑把な計画では、イタリア南部から船でエジプトへ渡り アフリカ大陸の北部を西へ向かうつもりだったが、 船で行くと、また、バイクが行方不明になるかもしれないと、 不安になり、 その夜は、計…

1968年のバイク世界一周旅行

その55 アフリカ大陸行きをあきらめ、 ナポリから北へローマを目指すことにした。 本格的なヨーロッパ・ツーリングの始まりだった。 地図を見入ると、ナポリ・ローマ間は、たったの二百キロで、 アメリカ大陸を横断した私には、非常に短い距離だった。 葡萄畑やオリーブ畑などの中を通る、 イタリアの高速道路E45を北上した。 日本のそれとよく似た高速道路の路肩には、 多くの若いヒッチハイカーが、 リックやシ…

1968年のバイク世界一周旅行

その56 フィレンツェからピザへ ローマ観光に二日ほど費やした後、のどかな田園地帯を北へ三百キロ、車道から脇道へ細い農道を上がると、 葡萄畑に囲まれた小高い丘に、フィレンツェのYHはあった。 朝食は葡萄棚の下に並べられたテーブルで摂り、デザートは葡萄を適当に取り食べることのでき、旅の中でこのYHは忘れられない一つである。 フィレンツェの町は私が訪れた二年前、 一九六六年の大洪水で、建物や文化遺産…

1968年のバイク世界一周旅行

その57   ピザの斜塔は大聖堂の鐘塔として、一一七三年工事にかかったが、 十メートルほど建設したところで、傾き始めたが造り直しもせず、 そのまま建設を続け、約二百年後に完成したそうだ。 何故、造り直さなかったのかと、チケット売り場の係員に聞くと、 本当かどうかはわからないが、 造り直したら経費がかかる。 それより、このまま建設して、傾いていることが有名になれば、 観光客が多く来て,その塔上費で…

1968年のバク世界一周旅行

その58 地中海に沿って 私はフランス南部、一般道路を地中海に沿って西へ向かった。 道路は狭い一車線か二車線で、カーブが多く、 片側は地中海で反対側は小高い丘が続き、 赤瓦の高級住宅や別荘が点在し、 アメリカのウエスト・コーストに似た風景であった。 暑い七月、バカンスシーズンが始まったらしく、 狭い道路を多くの車がノロノロ走っていた。 ところどころで、渋滞にいらだった運転手たちが 車から降りて、…