1968年のバイク世界一周旅行

その19 大体、ガ―ディナーの仕事は、 一軒の庭を一人でやれば一時間かかるが、 二人でやると その半分の三十分で終わった。 一日、何軒の庭を手入れするかで 収入も違ってくるので ガ―ディナーは皆仕事が速かった。 アメリカの平均月収が五百ドル前後の頃、 ガ―ディナーは、九百ドルほどは稼いでいた。 バイトの収入が一日、約十ドルであったが ガ―ディナーのヘルパーの稼ぎは、十五ドル前後と 良いバイトであ…

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その20 事務所に行くと、 下宿屋の主人から電話があったと、 武藤さんという七十過ぎの 日系人が出迎えてくれた。 墓の葬儀一切は 白人のスタッフ三人が仕切っており、 武藤さんは八十エーカー(九万六千坪)の墓の芝刈りなど 清掃を契約で請け負っていた。 気持ちが悪いのか、 墓で働く者はいないらしく、即、採用された。 時給一ドル七十セント、 勤務時間は午前七時から午後四時までであったが、 学校があるな…

1968年のバイク世界一周旅行

その21 私は休憩中、武藤さんが話す 過去の日系人の生活体験を聴くのが 楽しみだった。 こんな話もあった。 武藤さんは戦前 日本人学校の教師をやっていた。 真珠湾が攻撃され、戦争が始まると、 教師である武藤さんたちは スパイ容疑をかけられ、 すぐFBIに連行され、 家財道具を二束三文で処分し、 家族ともども、マンザナ強制収容所へ入れられた。 マンザナ強制収容所は 米本土に十か所設けられた日米戦争…

1968年のバイク世界一周旅行

その22 墓では、朝早く事務所に出て コーヒーを沸かす順番制があった。 皆、このコーヒー沸かしが嫌であった。 事務所は樹木に囲まれ薄暗く その前には火葬用に焼却炉があり、 事務所の壁には、火葬された身元不明の人々の 生ゴムで作られた何十ものデスマスクが ぶら下げられており、 その隣の作業場には 板切れで作られた火葬用の棺桶が 無造作に積み上げられていた。 このような光景に囲まれての コーヒー沸か…

1968年のバイク世界一周旅行

その23 ロスアンジェルス一帯の地下層には油脈あり、 現在はどうか知らないが、 その油脈の上に建物があれば、 石油会社は、建物の持主に、その土地の広さに応じて 年間、いくらかの配当金を支払っていた。 墓を掘ると、いつも、ジワジワと石油がにじみ出ていた。 だから、埋葬日は白人スタッフの作業着は 油粕で汚れていた。 何十年も前に埋葬された古い棺桶には 油まみれの「仏さん」が、そのまま横たわっており、…

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その24 12時、墓の仕事を終えると、 近道をするため 赤レンガの塀を乗越え、 走って下宿へ帰り、シャワーを取り 昼食を摂り、バス停へと急いだ。 英語学校は Wilshire BlvdとVermont Ave.交差点近く 静かな住宅街にあった。 車があれば十分ほどの距離であったが、 バスだと乗り換えを入れ、一時間はかかった。 生徒はカリフォルニアという地図的関係もあり、 中南米、アジア人特に日本…

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その25 英語学校に入学してしばらくしたある週末、 同じクラスの日本人学生に、ラスベガス行きを誘われた。 当時、ラスベガスは「博打」をするところとは 何とか知っていたが、 ラスベガスがどこにあるかも知らなかった。 彼らに教えてもらい、見様見真似で賭けたら 「ビギナーズ・ラック」というのか 千ドル近く直ぐ勝った。 こんなラッキーなことはなかった。 直ぐに、中古の車を七百ドル近くで買い プライバシー…

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その26 私の一日のスケジュールは 朝早くから、夕方四時まで働けるようになり、 少しは収入も良くなったが、 仕事と学校と、時間的には寝るまで 英語学校時代と何ら変わらなかった。 大学では毎週一冊の教科書を読み、 レポート提出が義務づけられ、 その上、墓の仕事だけでは、月八十ドルの授業料が 払えないので、土日はガ―ディナーのヘルパーや ガソリン・スタンドで働き、遊ぶ暇はなかった。 友人たちと会うの…

1968年のバイク世界一周旅行

その27 一九六四年以後、 日本では、 東京オリンピックも終わり、 海外渡航自由化になり、 冷ややかなアメリカ人の眼にも気付かず、 今で考えられないような正装姿の 日本人団体観光客が 洋酒の「ジョニ黒」や「ジョニ赤」、 デズニーランドで「メイド・イン・ジャパン」の ミッキーマウスのぬいぐるみを爆買いし、 ロサンジェルスの町を 楽しげに歩く姿が 目立ち始めていた。 「Beach Boys」の歌う …

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その28 しかし、予算を計算すると この金額ではとてもインドまで 車で旅行するのは不可能と分かった。 ある日曜日、 隣室のAさんにばったり会い、 雑談の中で、私の旅行の話になった。 すると、Aさんはバイクで行くことを勧めた。 彼は私と同年配、若いヤマハのロサンジェルス駐在員で、 彼の奥さんは、まだ、アメリカでも一般家庭には ピアノが普及していなかった時代、 昼間から、彼女の弾く素晴らしい音色が、…

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その29 アメリカ大陸横断へ バイクは単に 世界旅行に使用する交通機関 だと思っていた。 バイク旅行の経験もなく 何を準備すべきか考えることもせず、 金さえあれば、 必要なものは途中で買えば 良いのであって、 大事なことは、不測の事態に 如何に臨機応変に対処するかである。 アメリカ生活も四年、 すでにアメリカに慣れていたので アメリカ大陸横断旅行という気負いなく 日本国内を旅するような気分でいた…

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その30 ロサンジェルスの大盆地を抜け、 サンバーナーディーノから、ルート15の山岳地帯を 登りきると、雲一つない砂漠の中を一直線にハイウェイは 伸びていた。 五月のさわやかな太陽と風を浴びながら、 私のバイク「YMⅠ」風とエンジン音だけが支配する 砂漠の中を快適に走り抜ける。 それはライダーだけが感じる、自由と開放感に満ちた心地よい ツーリングである。 ロサンジェルスを出発して、最初の休憩地点…

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その31 翌朝、寝坊し、 ラスベガスのホテルを出発したのは 昼前だった。 ラスベガスからはルート15を離れ ルート93を東北へ約一時間行くと コロラド河をせき止めた フーバーダムに着いた。 このダムは黒部ダム同様 ダムの上が道路になっており、また ネバダ州とアリゾナ州の州境に なっている。 このダムを渡ると一時間 前へ進む時差が発生する。 コロラド川を渡ると、 アリゾナは茶褐色の山肌である。 ル…

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その32 当時、ルート66は大規模な拡張工事が行われていた。 1985年、古いルート66は、 インターステート40となったが、 その後、ルート66は歴史的な道路として、 再び世界の愛好者に脚光を浴びている。 グランドキャニオンへの入口 ルート66沿いのウイリアムスに 着いたのは夜だった。 翌朝は気合を入れ、早朝ウイリアムスを出発、 ルート66離れ、ルート64を北へ グランドキャニオンを目指した。…

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その33 痛いのを我慢してルート66のフラッグスタッフへ ゆっくり目指したが、痛さに我慢できなくなり、 途中のモーテルへチェック・インし、 そのまま眠り込んだようだ。 ドアをノックしてカギを開ける音に 目が覚めた。 ドアが開き、年老いた黒人女性と一瞬目が合った。 彼女はこのモーテルの掃除夫だった。 着替えもせず、ベッドに横になっている私を見た その掃除夫は驚いたのか、慌てた様子でその場を去り、 …

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その34 ルート66 フラッグスタッフからルート66を東へ 五十六キロほど走ると、 単に「233」と記した標識の出口があり、 その横に「Meteo Crater(メテオ・クレーター)」と、 注意していないと見過ごしそうな案内板があった。 そうか、ここのことかと想像を膨らましながら、 出口を出て南へ十キロほど走ると、 赤土色の大平原にバスほどのものから、 車ほどの大きさの岩が点々と転がっていた。 …

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その35 ルート66を走り州境に来ると「Come Again」とか 「Welcome To・・・」と、ひと目でわかる大きな標識版 が必ずあった。 アリゾナ州の過ぎるとニューメキシコ州である。 この州は標高九百メートルから三千九百メートルと 高低差の激しい州で、 走っていると急に寒くなったり、 暑くなったりと気温の変化が激しかった。 面積は日本より少し小さい州であるが、 当時、人口は百万(現在は二…

1968年のバイク世界一周旅行

その36 ルート66沿い、広い駐車のあるレストランで 食事を摂っていると、 大型のトレーラーが停まり、 中から赤シャツ、ジーンズにブルーのネッカチーフ首に巻いた オバちゃんが降りてきて、賑やかにガラガラ声で 親しそうにウェイトレスたちに話しかけ、 私と目が合うと「young guy(兄ちゃん)、きのうも見たけど、どこへ向かってんねん?」と、 大阪のオバはんのような口調で、聞いてきた。 勿論、オバ…

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その37 ニューメキシコ州の東隣は オクラホマ州とテキサス州の二つの州に接しているが、 ルート66はテキサス州を通っている。 ニューメキシコ州の州境で時計を見ると、 午後五時を少し回っていた。 日没までには、まだ時間がありそうなので、 急ぐ旅でもないが、少しでも距離を稼ごうと走りだした。 テキサス州に入り、レストランでコーヒーを飲みながら、 何気なく柱時計に目をやると、七時であった。 走っている…

1968年のバイク世界旅行

その38 テキサス州に入ると西部劇映画によく出てくる 風車を広大な農園でよく見かけた。 せっかくのアメリカ大陸横断だから できる限り多く、日本ではめったにお目にかかれない アメリカらしい写真を撮ろうと思っていたが、 アメリカに四年も住んでいると、 アメリカの風景に慣れてしまい、 どれがアメリカらしい風景か、わからなくなっており、 途中、ほとんど撮っていなかった。 だが、あのテキサス独特の風車を見…