1968年のバイク世界一周旅行

その59 フランスの国境を越え、 スペインン第二の都市バルセロナへ入った。 テレビのCMなどで有名な、アントン・ガウディが一八八二年に設計した、サグラダ・ファミリア教会がまだ建設中で、 寄付を集めながらの工事で、いつ完成するかわからないと 町の人は言っていた。 街角で絵を描いている老人を後ろから眺めていると、 片言の英語で話しかけてきた。 老人はピカソが青年期バルセロナで過ごしたことや、 ピカソ…

1968年のバイク世界一周旅行

その60 フランス、オムレツ、オムレツ 早朝、バイクの衝突音で家々から 人々が飛び出してくるのがわかった。 そして人々が私を道路脇へ運び、 大丈夫かと、口々に声をかけながら介抱てくれた。 私は、しばらく事故のショックで口もきけなかったが、 三十分ほど横になっていると気分も良くなったので、 バイクを点検すると、ハンドルが少し曲がっているだけであった。 たまたま、事故を起こしたのが、自動車修理工場の…

1968年のバイク世界一周旅行

その61 ルーブル美術館の前で、カリフォルニアに住んでいたという フランス人男性が私のバイクのプレート・ナンバーを見て 話しかけてきた。 私がフランス人は英語を話さないので、 レストランでは、オムレツばかり食っていると、愚痴ると、 彼は「フランス人は自分の国に誇りを持っており、英語で話しかけられると、わからないふりをするのだ」とウインクした。 そのような話を聴いたことがあった。 やはりフランス人…

1968年のバイク世界一周旅行

その62 ロンドン ル・アーヴァルから約三時間、 フェリーに乗っている間、船員に頼み込み、 びしょ濡れになった体をエンジンルームで温めながら、 衣類を乾かした。 ド―バー港から一気にロンドンへ向け走り出したが、 日が暮れ途中のB&Bに泊まることにした。 久しぶりに英国訛りだったが、B&Bの女主人の英語を聴き、 気分的にもホッとした。 食事もオムレツから解放され、 朝食は「ツー・エッグ・ウイズ・ベ…

1968年のバイク世界一周旅行

その63  1968年当時、ベルリンは東ドイツ領内で 東西ベルリンに分断されていた。 外国人は東ベルリンへ入ることができと聞き 是非ベルリンに行こうと決めた。 ダンケルク、アムステルダム 数日間、ロンドン観光に費やしやした後、 再びドーバー港からフェリーでカレー港に上陸、 東へ旅を始めた。 ドーバー港でフェリーに乗るまで時間があったので 売店を覗いていると、中近東の地図を見つけた。 それは本当に…

1968年のバイク世界一周旅行

その64 翌朝、外へ出るとYHの周りは 「飾り窓(売春宿)」が軒を並べていた。 そのあと、いろいろなYHに泊まったが、 このYHの周りのことは、ヒッチハイカーの間では 有名な話でよく話題に出た。 アムステルダムは「アンネの日記」でも有名な街である。 アンネ一家八人が、ナチスの迫害から逃れるため 1942年から2年間隠れ住んでいた部屋が 博物館になっている。 アムステルダムでは、どこでもある運河沿…

1968年のバイク世界一周旅行

その65 東ベルリンでの出来事 安ホテル前の駐車場にバイクを置き、 航空運賃は10ドルを払い、ハンブルグ空港から パン・アメリカン航空で西ベルリンへ出かけた。 当時1ドルは¥360であったから、 ¥3,600払ったことになる。 現在、ハンブルグ・ベルリン間の航空運賃は 約140ドルである。 50年前に比べ、14倍になっている。 ガソリンは1リッター¥60ほどであったが、 今は3倍の¥180ほどで…

1986年のバイク世界一周旅行

その66 その部屋の横には、静まり返った 体育館のような広い部屋があった。 二人の兵隊の一人が、私を連れ出し、 その部屋の片隅にあるベンチに、座れと言って立ち去った。 私は、この先どうなるのだろうかと、不安を抱えながら 肩を落とし、しゃがみ込むようにベンチに腰を下ろした。 十分ぐらいだっただろうか、私には結構長く感じられたが、 軍服姿の三十過ぎの女性が、 「パスポート」と無表情に言って、 私のパ…

1968年のバイク世界一周旅行

その67 列車がハンブルグ駅に着くと、私は緊張がほぐれ 疲れがでて、ぐったりとしていた。 改札口を出ると、構内の壁に飾ってある、 小さなピカソのデッサン画が目に入った。 それは闘牛士が闘牛と戦っているデッサン画であった。 近くで見ると、闘牛は点のように、 闘牛士は、マッチ棒のようにしか、見えなかったが、 少し離れて観ると、実物を見ているような流動感 あふれるデッサンであった。 このデッサン画を観…

1968年のバイク世界一周旅行

その67 夕立がやみ、虹のかかったライン川を渡ると スイスのバーゼルだった。 バーゼルはフランス、ドイツと国境を接する スイスの第三の都市である。 スイスは九州より少し大きめな国である。 バーゼルはもとより、スイスに入った途端、 今まで通過した国々では、見たこともない絵葉書をから 抜け出したような、 きれいな風景が広がった。 旅の途中で、なんども素晴らしいと 思い撮った写真が無駄であったと 思え…

1968年のバイク世界一周旅行

その68  スイス、ツェルマット 今なら、誰でも知っている、マッタ―フォルンの登山口 ツェルマット。 当時、私はそれがスイスのどこにあるか知らなかった。 マッタ―フォルンが美しい山であることは 写真などを見て知っていたので、 是非行ってみたいと思っていた。 人に聞きながらBrigの町から、登山電車の軌道に沿って、 スイス特有の民家が散在する小さな集落を いくつも通り過ぎ、ツェルマットの町の入口に…

1968年のバイク世界一周旅行

その69 翌朝、このYHで朝食を摂っていると、 「オジさんじゃない?」と、 二十歳前後の日本人女性が声をかけてきた。 28才の私に 「オジさん」とはと、一瞬、驚き、あっけにとられたが 彼女は初対面ながら、にこやかに嫌味のない女性で その自然な振る舞いに私は好感を持った。 彼女は、私がバーゼルのガソリン・スタンドで 給油しているとき、 ヒッチハイクで乗せてもらっていた車から 私が日本人だと気付き、…

1968年のバイク世界一周旅行

その70 スイスのツェルマットからウィーンまでは約600キロ、 高速道路を走れば、一日で行ける距離であるが、 バイク旅とはいえ、ただ、闇雲に走っても面白くない。 二度と来ない素晴らしいところもあるかもしれないと 一般道を走ることにした。 九州や四国ほどの小さな国、スイスから 東西に長く伸びるオーストリアに入った。 西にスイス、北にドイツのバイエルン州、 南に高い山で国境を接するイタリア、 その麓…

1968年のバイク世界一周旅行

その71 ミュンヘンのビャホール ミュンヘンのYHでチェック・インしていると カナダをヒッチハイクして、今はヨーロッパを観光中の、 ローマのYHで出会った横浜のKが目に入ったので 声をかけると、ウィーンで別れた 水戸のMKと夕食を摂りに出かけるところだった。 KとMKは初対面だったが、 日本人の旅行体型が似通っているのか、 私にしても旅行中、同じ日本人旅行者に 何度もYHで会った経験があるので、…

1968年のバイク世界一周旅行

その72   二人と別れた私はミュンヘンからハンブルグ、 ルーベックを通過し、さらに、その北ブットガルテンから フェリーでバルト海を渡り、 デンマークのレズビュハウンに着いた。 そこから農業国らしい広々とした田園の中を コペンハーゲンを目指し走った。 デンマークといえば、 アンデルセン童話「人魚姫」を題材に造られた人魚姫の像 チボリ公園が有名である。 この人魚姫の像の高さは80センチと 写真と違…

1968年のバイク世界一周旅行

その73 体調が良くなった私は、デンマークのヘルシンゲルから フェリーで狭い海峡を越え、スウェーデンのヘルシンボルへ渡り、 スウェーデンの西側を走り、ヨーテボリを通り、 白樺の森が続く中を北東へ走り続けた。 9月に入っていたが、日本の感覚では、 まだ、夏だと思っていたが、 急に日が短くなり、白樺の森には冷たい風が吹き、 体が冷え切り、何度も道端で用足した。 よく経験したことであるが、 夕闇が迫り…

1968年のバイク世界一周旅行

その74 バルカン半島を南下、ギリシャへ 食事を摂っていると、この地方の小さな新聞社の記者だという 中年の男が自転車でやってきた。 彼女の出したコーヒーを飲みながら、 記者は1時間ほど、私の米国留学やバイク旅行を始めた動機について聞き、明日の新聞に載せるからと言って去って行った。   記者が去った後、私はテーブルにヨーロッパの地図を広げ、 このあと、どこへ旅すべきだろうかと女主人に相談すると、 …

1968年のバイク世界一周旅行

その75 ユーゴスラビア(現クロアチア) 当時、ユーゴスラビアは社会主義国家で、 私は「鉄のカーテン」と呼ばれえていた ソ連の社会主義国家と同じものだと思い込んでいたので、 どこからか秘密警察が外国人である私を 監視しているのではないかという、不気味な不安感と 恐怖感を抱きながら入国した。 入国すると、私の想像は的外れだった。 「社会主義国家ですが、ソ連とは違いますので、旅を楽しんでください」と…

1968年のバイク世界一周旅行

その76 アドリア海に沿って南下を続け、 ユーゴスロバキアとアルバニアの国境に着いた。 実際は情報不足の時代で、アルバニアの国境に着いた とはわからなかった。 目の前に川があり、長い橋が架っており、 橋のたもとに「アルバニア」と、 英語の立て看板があったので分かった。 橋の中央に銃を抱えた兵数人がいたので、 国境警備兵とわかり、小走りにその兵隊たちに近づき、 「ギリシャへ行くのだが、あなたの国を…

1968年のバイク世界一周旅行

その77 エーゲ海 ヒドラ島での休暇 ギリシャに入ると、オリーブ畑に囲まれた道路は舗装になった。 南下するにつれ天気は良くなり、アテネに着いたときは晴れていた。 私はYHに荷を解くと、早速、船会社に行き、 ニューヨークからリスボンに着いたとき、 船会社が私のバイクをリスボン港で下ろすのを忘れ、 私がリスボンからナポリまで、バイクを引き取りに行く羽目になり、その時、私が立替えていたリスボンからナポ…